ガンガラーの谷 発掘調査とは
2017-02-13
港川人とは、沖縄県南部の石灰岩採石場で
1970年に化石人骨として発見された人類です。
発見された4体の内、港川人1号と言われる1体は、
人骨は頭の先から足の先まで骨が揃い、保存状態が非常によく、
現代の私たちに多くのことを教えてくれています。
彼らは、約2万年前に実際にこの地に生きていた、旧石器時代の人類。
身長はおおよそ150cm前後で、現代人に比べると小柄です。
その骨格から、森の中を歩き回りながら狩猟採集の
生活をしていたであろうと推測されています。
現在判明している最古の人類は、アフリカ中部で発見された
約700万年前のチャド猿人。
その後、様々な人類が誕生しては消滅していきました。
そして、私たちホモ・サピエンスは、
今からおよそ20万年ほど前にアフリカで誕生し、
その後、今から約6万年前に我々の祖先はアフリカを飛び出し、
世界中へと旅立っていったと言われています。
では、私たちの祖先はどのような経路で日本に辿り着いたのでしょうか。
港川人の発見は、日本人のルーツを握る重要な手がかりとなっています。
この地沖縄で暮らしていた港川人が、海を越え日本本土に渡り、
日本人の祖先となった可能性があります。
遠くアフリカから沖縄にたどり着いた先人たちは、
この地沖縄を飛び出し、また北へと向かう旅を続けたのではないでしょうか?
港川人が発見された場所は、フィッシャーと呼ばれる岩の割れ目です。
なぜ、この場所に港川人が居たのかは明らかになっていませんが、
そこは彼らが生活できる場所ではありません。
では、港川人はどんな場所で生活をしていたのでしょうか?
現在も港川人に関する発掘調査は、国立科学博物館、東京大学、沖縄の地元研究者によって結成された「沖縄更新世遺跡調査団」と、「沖縄県立博物館・美術館」によって続けられています。ガンガラーの谷内にある「武芸洞」は、港川人発見場所から近く、付近には川も流れ、東西に二つの入口がある明るく乾燥した洞窟です。旧石器時代の生活場所として好条件であるとの見方から、2007年から調査対象場所となりました。
2007年、2008年の調査では数多くの土器や化石が発見されました。
沖縄島南部初の約7千年前の爪形文土器片や、約4千年前の火を焚いた炉の跡、
大量のイノシシ骨などが掘り出され、遂には洞窟の中から石の棺に入った
人骨が出てきました。約3千年前の石の棺が地表面のすぐ下から発見されたのです。
保存状態も素晴らしいこの化石たちは、
たくさんの情報を科学者たちに提供してくれています。
これまでの調査で、武芸洞は約7千年前から
人々の生活の場所として利用されていたことが明らかになりました。
2009年からは調査範囲を
ケイブカフェ(サキタリ洞)のほうに移し、
約9千年前の押引文土器、
約1万4千年前の石器、
約2万3千年前の世界最古の釣り針などが
発見されています。
数多くの化石が発見されており、
ガンガラーの谷付近いた人類の事実が、
毎年少しずつ明らかになっています。
風雨にさらされないこの場所は、化石の宝庫とも言われています。
まだ掘り進んでいないその下には、
古代の生活跡が残されているかも知れません。
私たちはまだ、ほんの一部しか知らないのです。
今後も続く発掘調査で、ガンガラーの谷に眠る日本人のルーツの謎が
解き明かされていくのかもしれません。